南稜中学・東の上遺跡
幅12mの道路跡
奈良時代に入ると国家のしくみが整い武蔵の国(東京・埼玉・神奈川の一部)では現在の東京都府中市に国府(政府の役所)が置かれ政治・文化の中心になりました。
 
東の上遺跡では都と国府を結ぶ東山道の道路跡や米を蓄えた倉庫群、馬具などが発見され東山道に置かれた駅ではないかと言われています。

また、馬の絵が描かれた紙も発見されました。この紙はには暦が記されていましたが使用後リサイクルされ、裏面に馬の絵が描かれていました。

この紙はその後、漆の液を入れる器の落とし蓋に使われました。紙に漆が染み込んでいたため腐らずに現在まで残りました。
歴史オリエンテーリング・史跡めぐり
スタート:
南陵中学東の上遺跡(所沢駅西口から徒歩10分)
チェック1:
長久寺(南陵中学校から旧鎌倉街道に出て長久寺まで徒歩10分)
チェック2:
将軍塚(勢揃橋北交差点を右折し、遊水池を経て八国山を登る。徒歩25分)
チェック3:
悲田処跡(八国山を下り松が丘バス停裏八国山の麓の公園内 。徒歩20分)
チェック4:
仏眼寺(バス通りを渡り、徒歩10分)
チェック5:
久米水天宮(仏眼寺から坂を上り徒歩10分 )
チェック6:
鳩峰神社(水天宮から徒歩1分)
チェック7:
吾妻公民館(鳩峰神社から徒歩20分。ほとんど下り坂)
チェック8:
永源寺(じゅうに人坂交差点を左折。徒歩10分)
吾妻の歴史
年号 項目
802年 久米仏眼寺創建
830年 弘法大師東巡の折り仏眼寺による
833年 多摩・入間の両郡に悲田処をつくる
921年 鳩峰八幡神社できる
1271年 日蓮が佐渡に流される途中当地をとおる
1274年 日蓮が赦免となり鎌倉に帰る途中に、仏眼寺により曼陀羅を書く
1331年 玖阿上人が長久寺を創建
1333年 元弘の変。新田義貞が鳩峰八幡神社で祈願する。久米川の合戦の時に、将軍塚で指揮をとる
1419年 大石遠江守信重、永源寺建立
1598年 久米の領主中根正重没す。長久寺に葬る
1843年  八坂神社社殿建築(市文化財)
1874年 久米村・秋津村に学校が建つ
1891年 吾妻村ができる
1895年 東村山、川越間に川越鉄道が施設される
1899年 荒幡富士竣工。山開きを行う
1900年 吾妻村尋常小学校校舎が建つ(現在の南陵中学校敷地)
1915年 池袋、飯能間に鉄道が開通する
1926年 東住吉町に豊川稲荷がまつられる
1943年 所沢町ができる
1950年 所沢市制施行
1953年 吾妻小学校が南小学校と改称し、現在の位置に移転。
吾妻中学校(南陵中)が独立校舎となる
吾妻の由来 昔このあたりの領主であった久米但馬守の邸をある時期「久米郷吾妻庄」とよび、
その邸があった現在の南陵中グランドの南側一帯を「あずま」とよんでいる。